意外と短いフィンランドのサウナ歴史

 

サウナの語源はフィンランド語のSauna。サウナといえばフィンランドだが、いつからフィンランドにサウナがあるかはじつは定かではない。紀元前や2000年前からという説もあるが、それらは伝承や推測など不確かな情報をソースとしており、文献に出てくるのは1112年以降となる。

キエフ大公国年代記者ネストル (Nestor the Chronicler)による記述が、フィンランドでサウナがあったことを記す最古の文献だと言われる。ネストルはこのように記している「木でできたサウナで、彼らは木の枝で自らを叩いている。そして冷水を浴びた」。この頃にすでに、ヴィヒタを使っていることと、サウナ後に冷水で体を冷やしていたことがわかる。

キエフ大公国とは、9世紀後半~13世紀半ばにかけて、東ヨーロッパおよび北ヨーロッパに存在した国家。東スラヴ人、バルト人およびフィンランド人を含む。

初期のサウナは丘の斜面に掘った穴を利用した原始的なものだった。そうした穴は住むところとして使われていたが、洗濯やサウナ用としても利用されることがあった。

その後12世紀からは丸太小屋をサウナとして利用するようになる。丸太小屋には煙突がなく、石を熱するために燃やした薪から出る煙は、壁の穴やドアから外に出した。半日かけて室内を暖め、部屋に充満した煙で壁も天井も真っ黒になる。利用前にすすを掃除してからサウナに入るという、現在のフィンランドのスモークサウナの原型となっている。

煙突がサウナ小屋に追加されるのは、産業革命が北欧に到来してからで、それによりサウナ部屋を暖める時間は半分以下に短縮された。時代とともに煙突のないサウナは姿を消し、1938年には電気式ストーブが初めて施設に設置され、その後も電気の普及とともに薪を燃やすことも減り、現在の電気ストーブ式のサウナが一般化していく。

フィンランド最古の公衆サウナは、1906年に作られたラヤポルティ・サウナで、当時のつくりのまま現在も営業している。毎日開店前に、何本もの長さ1mの薪木を焚いて、重さ1トン以上のサウナストーンを真っ赤になるまで温める。一酸化炭素中毒を防ぐためのハカロウリュと呼ばれる煙や灰を完全に取り除くための水かけを行ない、風量調節用のレジスタを閉め、温度を一定にしてからストーブを冷ます。こうすることで、一日中ロウリュがストーブから噴き出す仕組みとなっている。はじめのうちは鋭く乾いた蒸気が、次第に柔らかで潤った蒸気が噴き出てくる。日本からの訪問者もたまにいる。